withコロナの世界とは?

令和2年の年が明けた頃から、日本でも新型コロナウイルスの流行による騒動が起きています。世界の中のごく一部の地域で起こっている出来事と思っていたものが、あれよあれよという間に、日本中に、いや世界中を巻き込んでの未曽有の混乱となってきています。テレビをつけても、新聞を開いても、この話題ばかりです。休校が長く続いたり、在宅勤務、テレワークといった今までにない生活の中に身を置くことになりました。影響を受けなかった方というのは、まったくと言っていいほどいらっしゃらないのではないでしょうか。そして、今でも多くの方々がご苦労されていると思います。

 一方、今回の騒動は、私たちに色々なことを教えてくれました。まず、「昨日までの当たり前が突如として当たり前でなくなる。」ということです。本当は、こんなことは「当たり前」のことなのですが、私たちはついつい忘れてしまいます。それが、今回は、数週間、数か月で世界が、ガラッと変わってしまったのです。これは、何も今回のような大きな騒動に限りません。朝、当たり前のように出かけていかれた方が、夕方に帰ってくることは当たり前のようですが、当たり前ではないのです。むしろ、「有り難い」ことなのです。今回の騒動で、当たり前の日常に感謝の念、「ありがたい」という気持ちを持たれた方も多かったのではないでしょうか。また、今回のような非常時には、ついつい、人間が普段は隠している部分が出てきます。マスクの購入を巡って暴力沙汰があったり、他府県から来ているというだけで、その方にきつい言葉を浴びせかけたり、あるいは車にいたずらをしたりといったことがありました。普段、心に余裕がある場合には、表に出てこない心の奥底が、恐怖をきっかけに出てくるのです。これは、誰の心にもあるものかもしれませんが、私たちがこの世に生を受けて、人間として生活していくためには、表に出してはいけないこと、自分で封じ込めておかなければいけないことであるのは間違いないことです。自分一人が生き残って、誰もいない世界は想像するだけでも殺伐としたものがあります。このような時だからこそ、他人を思いやる心が大切な気がします。みんなで乗り越えるということは、そういうことのような気がします。

コロナウイルスと共存する社会、withコロナの世界は、社会システムの変更が伴うことは間違いないのでしょうが、それだけでなく、人々の心の持ちようにも、いい意味での変化をもたらしてくれることを願います。