今回は、一見すると難しそうなお釈迦さまの教えを、身近なものとしてお話させていただければと思います。
いろいろな教えをたくさんのお弟子さんたちに伝えてこられたお釈迦さまですが、やはり最後の時がやってきます。そんな時、皆さんが、もしお弟子さんの立場ならば、どんなことを思われるでしょうか。今まで、心の拠り所としていた大きな存在を失ってしまうのです。不安で仕方なくなってしまうのではないでしょうか。そんなお弟子さんたちに向けて、自分がいなくなった後、何を頼りにすればいいのかということで最後の教えとして残した言葉が、「自灯明 法灯明」というものだと言われています。
こうして訳された漢字で構成されたフレーズを見ると、非常に難解なものという感じを受けられるかもしれませんが、実は、お釈迦さまがおっしゃりたかったのは次のようなものなのです。
「いろいろと思い悩むことがあるかもしれませんが、自分が今まで伝えた正しい考え方、不変の真理を拠り所とし、それを知っている、そして大切にしている自分を拠り所としながら、日々を過ごしなさい。」というものです。
これが現在の社会とは比較にならないぐらい変化のスピードが遅く、多様性もない古代インドで残された言葉です。当時でも人は日々迷い、思い悩み、そして惑わされていた、そんな時の処方箋として残されたものです。猛スピードで時代が変わり、溢れかえる情報に晒されている今の時代に生きる私たちこそ、この言葉を大切にしなければいけないような気がします。いろいろなものに触れる、知るということは、大切なことですが、時として、そこには迷いが生じます。何か、立ち返る場所、原点、生きていくにあたって芯になるようなものがなければ、流されてしまいます。
灯明は「ディーパ」という原語を訳したもので、洲・島を意味するものだそうです。混沌という海の中で漂流し、溺れそうになった時には、上陸する島の存在が大切だということなのでしょうね。